山行名 | 明智城(あけちじょう、長山城)跡~三等三角点:羽崎(はざき)175.17m/明智光秀公ゆかりの地を歩く | |
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行動開始日 | 2021/8/21 | |
期間(日) | 1 | |
山行形態 | 山歩き | |
地域 | 日本 | |
都道府県・国 | 岐阜県 | |
住所・山域 | 岐阜県可児市瀬田 | |
天候 | 晴れ | |
行程 | 【21日】 14:16 明智城駐車場、大手口 14:30 二ノ丸曲輪跡 14:36/14:50 明智城本丸跡、展望台 14:54/14:57 三等三角点:羽崎 14:58 西出丸口 15:01/15:15 明智城本丸跡、展望台 15:24 堀切、乾曲輪方面分岐 15:26/15:33 六親眷属幽魂塔、乾曲輪跡、見張り台跡 15:38 搦め手口 15:43 明智城駐車場、大手口 15:45/15:50 天龍寺 15:51/15:55 太元神社 16:00 明智城駐車場、大手口 | |
所要時間 | 1時間44分 | |
参加者 | IT/計1名 | |
ルート ※画像を押すと拡大表示できます | ![]() | |
画像(大) ※画像を押すと拡大表示できます | ![]() | |
ポイント | #お楽しみポイント ・三等三角点:羽崎(はざき)175.17mの確認・展望台からの眺望 ・明智城(長山城)跡と天龍寺、大元神社など周辺の散策(明智光秀ゆかりの地を歩く) ・太元神社(たいげんじんじゃ) #基点(駐車地) ・明智城駐車場、大手口 | |
コメント | 岐阜県可児市に位置する、明智城(長山城)跡と天龍寺、大元神社など周辺を歩きました。 美濃国明智荘(あけちのしょう)にあった明智城は、自然の地形を生かした中世の山城で、長山城または明智長山城とも呼ばれています。康永元年(1342年)頃に美濃源氏の流れをくむ土岐頼兼が築城、頼兼は明智姓を名乗ります。以降、約200年間にわたって明智氏の居城となりましたが、弘治2年(1556年)に稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け落城、明智城は廃城となりました。明智城(長山城)跡は可児市の重要文化財に指定されています。 明智の荘や明智城は明智光秀が前半生を過ごした場所とも言われていますが、その出自については諸説あり、明らかになっていません。 明智城跡の麓にある天龍寺は曹洞宗の寺院で、明智氏の菩提寺として建立されました。明智光秀をはじめ明智氏歴代の墓所があり、本堂には日本一大きいとされる明智光秀の位牌が安置されています。毎年6月には明智光秀公供養祭が行われています。 太元神社の主祭神は、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と応神天皇です。応神天皇は、日本の初代天皇である神武天皇の孫にあたる人物で、武勇に優れ、数々の戦いに勝利したことから武の神として崇められています。 今回は、明智城駐車場、大手口を基点に時計回りに周回、七ツ塚、明智城本丸跡、展望台、三等三角点:羽崎、六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)、天龍寺、太元神社、などを巡りました。 | |
↓ | 出陣でござる(^^)/ | |
写真 | ![]() | #明智城駐車場、大手口 無料駐車場(10台)は大手口の横にあり、休憩所、案内板、パンフレットが置かれたボックス、水道などがあります。近くにはトイレもあります。大河ドラマ「麒麟がくる」ブームが去り、暑い時期、コロナの影響もあり、駐車場は閑散としていました。令和元年版のパンフレット「明智荘散策マップ」によると臨時駐車場まであったようです。ブームの時は観光客で賑わったのでしょうか? ここでパンフレットを入手して登城開始。 \(^o^)/ |
![]() | #明智城駐車場、大手口 | |
![]() | #明智城駐車場、大手口 明智家の家門である桔梗の名を冠した桔梗坂から入山します。入り口には桔梗の花が植えられています。 | |
![]() | 大手門をくぐり、石畳の坂、階段(桔梗坂)を登っていく | |
![]() | #桔梗坂 | |
![]() | #桔梗坂 結構な規模で、見ごたえ(歩きごたえ)ありそうです(^_^)/ | |
![]() | #二ノ丸曲輪跡 桔梗坂を登りきると二ノ丸曲輪跡です。一角に「コウライオヤニラミの化石発見地の碑」があります。コウライ(高麗)オヤニラミは、全長30cm程度まで成長する淡水魚で、朝鮮半島が原産。1800万年程前は日本と朝鮮半島が陸続きであったことがわかります。 、、、と書いてあります。 | |
![]() | #二ノ丸曲輪跡 なんと住宅街から舗装路が上がってきます。(関係者?の)車も置かれていました。休憩舎、七つ塚、馬場跡などなどをチェック。 | |
![]() | #二ノ丸曲輪跡 トイレもあります。 | |
![]() | #明智城本丸跡 七つ塚は、1556年の戦いで戦死した明智方の将7人を葬ったと伝わる場所です。 | |
![]() | #明智城本丸跡 攻城成功です。\(^o^)/ | |
![]() | #明智城本丸跡 写真は明智光秀公の銅像。2020年に建てられたピカピカな光秀さんです。広場、ベンチがある休憩スポットです。 今日は暑いからあれだけど、、、 (^^; | |
![]() | #明智城本丸跡 明智城跡碑 | |
![]() | #明智城本丸跡 展望台からは明智荘(可児市北東部から御嵩町西部)が見晴らせます。天気が良ければ御嶽山が見えるそうですが、今日はムリ、、、です!! | |
![]() | #明智城本丸跡 展望台からの眺望。三角点を探しに西出丸曲輪跡方面へ向かいます。 | |
![]() | #三等三角点:羽崎(はざき) 西出丸跡あたりで遊歩道から外れてピークに向かう道を発見。頂に出ると「三等三角点:羽崎」がありました。 | |
![]() | 遊歩道に戻る。 目印はこの西出丸跡の標柱です。この標柱の上のピークに三等三角点:羽崎(はざき)があります。 \(^o^)/ | |
![]() | #西出丸口 そのまま下って行くと住宅街に出ます(西出丸口)。案内板あり。 遊歩道を本丸跡へ戻ります。 | |
![]() | 十兵衛坂の入口です。 明智十兵衛光秀の名前から十兵衛坂と名付けたとのことです。 もう一度、展望台からの景色を見たかったのですが、先客がいたため(コロナ感染部防止に配慮し)諦めて十兵衛坂を下ります。 | |
![]() | 十兵衛坂 | |
![]() | #堀切、乾曲輪方面分岐 ここポイントです('ω')ノ遊歩道が分岐しているので、右に入り六親眷属幽魂塔、乾曲輪へ向かいます。 | |
![]() | #六親眷属幽魂塔 この幽魂塔は明智一族やその郎党を供養したものと考えられています。昭和の時代に地中から発見されたものです。六親眷属は仏教用語で一族や親戚すべてを指す言葉です。 | |
![]() | #六親眷属幽魂塔 領民が世をはばかりながら明智一門の霊を供養したのではないかとも言われていますが、、、 | |
![]() | #乾曲輪跡 #見張り台跡 堀切まで戻って下山しまーっす | |
![]() | ||
![]() | #搦め手口 車道にでました。駐車場まで戻って、その東側にある天龍寺に向かいます。 | |
![]() | #天龍寺 明智家菩提寺の天龍寺には、明智家歴代の墓所や日本一大きいとされる明智光秀公の位牌があります。コロナの影響か位牌の拝観は中止されていました。 | |
![]() | #天龍寺 | |
![]() | #天龍寺 明智家歴代の墓所 | |
![]() | #太元神社 武の神、応神天皇が祀られています。この太元神社には奥の院の遥拝所があり、奥の院自体は「ぎふワールド・ローズガーデン(旧花フェスタ記念公園)」の東側の山中にあります。 太元神社奥の院は、城主が合戦にさいして戦勝祈願、戦勝報告をした神社だと伝わっています。討ち取った敵の首を皿に乗せてお礼をしたそうで、今でも血の痕のついた皿が出土しています。 いつか、奥の院にも行ってみたいですね。 駐車場に戻ります!! エイ・エイ・オー( `ー´)ノ |
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