登山レポート:熊ヶ岳(くまがたけ)1116m(岐阜県郡上市白鳥町)奥美濃  …

山行名熊ヶ岳(くまがたけ)1116m(岐阜県郡上市白鳥町)奥美濃 付: 私家本「 山旅叢書 」のこと、並びに 奥美濃の基本書、基本文献について
行動開始日2022/6/5
期間(日)1
山行形態山歩き
地域日本
都道府県・国岐阜県
住所・山域両白山地(岐阜県郡上市白鳥町向小駄良)
地図2万5000分の1 :白鳥
天候薄曇り
行程06:00 一宮木曽川IC~東海北陸道~白鳥IC~中部縦貫道油坂峠~旧道の国道158号~
07:30/7:45 造林記念碑前駐車地
07:50 大藤路林道入口
09:55 林道分岐
10:20/10:35 送電鉄塔
10:50 最高点1130m
11:20/12:00 送電鉄塔
14:00 国道合流
14:10 駐車地
参加者少々
ルート
※画像を押すと拡大表示できます
コメント・前置き:時節柄、選挙で、自分は政治には向かないと思うので、制度とか全くの不勉強ですが、ある時期から棄権を止めて投票所に出向いています。自分が棄権の時期、選挙改革においては、死票をどう救いあげるかが議論の主理由だったかと思い起こすのですが、ですから当然、当選しない人の票の合計を政党に割り振るのと思っていました。もしも当選した人も含めれば2重計上になり、おかしくはないでしょうか。あくまでも当時の感慨で、実際にはそうならなかったのですが、似たような制度と思います。おかしいと思うことが日常茶飯の今日この頃、よくわからないから投票しないというのは何かに依存していて自立してないのではないでしょうか?
・前書き:著作「愛知の山と峠」で沖允人さんの名を知りましたが、他にも「改訂奥美濃ノート」など書かれています。読む機会があったので、見ると奥付に「山旅叢書」限定35部と有ります。どんなシリーズだろうかと気になっていましたが、発行者となっている安藤忠夫さんの「山がたり本がたり」を図書館で借りて読む機会があり、そこに記載されていましたので、ここに転記しておきます。興味のある方にご伝達できれば幸いです。

 山旅叢書
 1.「 石徹白あちこち」 松村寿 1999.4 A5、66頁、限定25部、4000円、表紙・差し函化粧紙は五箇山和紙、表紙マド貼付絵用紙は岐阜県吉城郡河合村の笹和紙、製本・製本工房「梓」
 注:以降、大きさ以下は省略。全て限定25部、特装本
 2.「装いの山々」 深谷泰 2000.5
 3.「笈ケ岳を行く」 安藤忠夫 2002.12
 4.「北方稜線の山々をめざして」 石田文男 2002.10
 5.「奥美濃追想」 吉田寛治 2000.10
 6.「いのちのいろ」 日比野和美 2001.3
 7.「奥美濃がたり」 安藤忠夫 2001.6  (限定本のほかに普及本300部と著者家蔵本(天金)あり。)
 8.「改訂 奥美濃ノート」 沖允人・加藤復三 2002.2 限定35部
  注:発行者は、製本者になると思われますが、ほとんど安藤忠夫さんです。製本・製本工房「梓」は氏が担当されたことを示しています。その他、「特装本製作費用の考察」という興味深い文章も有ります。

 ・序でに、最近、奥美濃の基本文献・基本書がどこかに書かれていたと探しているのですが、これだと思う出典が出てきません。特に雑誌の特集号が含まれていた記憶が有ります。「美濃一人」さんの旧のサイトにも奥美濃の基本書が紹介されていたはずですが、今となっては確かめる術がありません。そのため前掲の「山がたり本がたり」と「改訂奥美濃ノート」に紹介されている基本書を掲げておきます。ところで、雑誌の特集号は、岳人(1990年代?)だったと思うのですが、山と渓谷にも奥美濃特集号はあるようです。
 ○「改訂奥美濃ノート」 沖允人・加藤復三 安藤忠夫発行 2002.2 「あとがきにかえて」より
 「秘境・奥美濃の山旅」 芝村文治 ナカニシヤ出版 1972 、「樹林の山旅」 森本次男 朋文堂 1940、 「奥美濃」 同人山葵会 1975、 「ヤブ山登山のすすめ」 高木泰夫 ナカニシヤ出版 1987、 「飛騨の山、美濃の山」 酒井昭一 山と渓谷社 1988、 「山岳講座奥美濃」 後藤芳雄・著 安藤忠夫/吉田寛治編 日本山書の会 1988 
 奥美濃の文献研究には、「奥美濃の文献ノート」、山書研究、第33号、83-154p(安藤忠夫、日本山書の会、1988)、「奥美濃山座別文献目録」(吉田寛治、日本山書の会、1990)(注:山書研究、第34号)の労作がある。
 注1 :「奥美濃ノート」の初版1968年は、手書きにより仲間内に配布。外に有志によって複製版が作られた。また沖さんには、「奥美濃の山旅」があり、1983年、私家版として出版、150部(外に特装30部)。
 注2:「樹林の山旅」は、1988年サンブライト出版から増補復刻版が出ています。
 注3:「山岳講座奥美濃」について、奥美濃の文献研究、前者奥美濃文献ノート「おわりに」には、「これは岐阜登高会の後藤芳雄氏が会員を対象に、昭和29年10月頃から47回にわたって行われた奥美濃の解説講座だが、その内容といい、高度で詳細な資料性といい、これまで折々に出版されたものと比較しても何ら遜色がない。(略)このまま野に埋もれさせておくには甚だ残念であり、でき得れば関係者の手による上梓を願うものである。」とあります。また、後者山座別目録には、「月報わっぱ」94号1989年6月大垣山岳協会。故後藤芳雄氏遺族の許しを得て「山岳講座・奥美濃」の転載。2ヵ年間掲載予定とあります。 
 ○「山がたり本がたり」 安藤忠夫 安藤忠夫発行 2003.3  355pより()内は、こちらで補いました。
 「樹林の山旅」、「秘境・奥美濃の山旅」、「奥美濃」、「奥美濃の山旅」(沖允人)、「奥美濃ヤブ山登山のすすめ」(上述「ヤブ山登山のすすめ」と同じ。最新は「三訂奥美濃 ーヤブ山登山のすすめー」2007と思います。)、「霧の谷」(増永迪男 北陸通信社 1975 ) その他、後藤芳雄「山岳講座奥美濃」、日比野和美「百山百溪」(4集まで出ていると思います。)

・本文編:熊ヶ岳。参考のURLでいつも申し分なく、他も参照しませんでした。唯、ほんの少し付け加えることがあるので、蛇足ながら、書いておきます。
 中部縦貫道の油坂峠から国道に入ったのは杞憂でした。白鳥側の国道はかなり広いです。駐車地は、造林記念碑以外にもう少し林道入口に近く勝三桜の碑の所も可と思います。また、林道に入って30mほど先、2台くらい止められそうな空き地が有ります。
 最高所の鉄塔まで距離が長いので自分にはハイキングと言いませんが、道はハイキングです。鉄塔から北に巡視路が続いてますので、端に出ると白山、大日ヶ岳が見えます。1116mヘは北の端、シロモジかのタコ足のところから入ります。タコ足の細枝が切ってあります。ここから30mほど矮木のヤブですが、すぐですので大したこと有りません。最高点へは是非行かれることをお勧めします。スギとブナ等の広葉樹の混合林ですが、奥美濃の山らしいですし、ササ薮なし、下生えの枝を払い潜る程度です。帰り、1116mは、山頂らしくなく、ちょっと戸惑います。鉄塔も樹木で隠れて目立ちません。方向感覚さえしっかりしていれば問題ないので、コンパス、地図あるいはGPSは基本です。
 トチノキの大木の位置は参考書では、標高820mなので、カツラの大木の位置もその近く760mと思い込んでいました。行きは、両方とも不明で、下山時、760mへ着いてカーブの少し先に大木を発見、カツラの木と思った。家に帰り参考書の写真を見るとトチノキの大木で、カツラは標高700m地点だと気が付いた。従ってトチノキの大木は標高760m地点、カツラの大木は見てないのですが、700m地点と思います。
 下部のスギ植林は、密生しすぎですが、上部のスギは枝打ちされて多少、密なところも有りますが、真っ直ぐで立派な高木に育っています。鉄塔近くの林道からは、遠く滝波山、平家岳、近くは臼本山、徳平山方面の展望が広がります。
URL可児からの山歩きhttp://kanikarano.elpeo.jp/8yamaaruki/93kumagatake.htm
入浴日本まん真ん中温泉 子宝の湯
写真駐車地の造林記念碑
大藤路林道入口
標高890mカーブ先の林道
林道標高920m付近から徳平山方面
最高所の送電鉄塔北から大日ヶ岳
熊ヶ岳1116m
緩やかに下った後の上り、ブナ林
1130m最高点手前
林道合流地のタニウツギ
林道標高760mカーブ下のトチノキの大木

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