登山レポート:細根山(ほそねやま、標高36m)、細根オ …・岐阜県・山歩き

山行名細根山(ほそねやま、標高36m)、細根オアシスの森/え!?オール舗装路で登頂!!細根十四景の探索!!有松の町歩きもね!
行動開始日2024/12/8
期間(日)1
山行形態山歩き
地域日本
都道府県・国岐阜県
住所・山域愛知県名古屋市緑区鳴海町(オアシスの森づくり事業)
天候晴れ
行程【8日】
15:26 有松駅・名古屋鉄道名古屋本線
15:39 細根山、細根オアシスの森エントランス
15:46/15:50 「細根山の歴史と史跡」案内板、湛然堂址、三吟塚
15:55 妙音池
15:58/16:02 細根天満宮(菅神廟)
16:15 細根山、細根オアシスの森エントランス
16:26 有松駅 名古屋鉄道名古屋本線
所要時間1時間
参加者IT/計1名
ルート
※画像を押すと拡大表示できます
画像(大)
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細根十四景絵図
ポイント

#お楽しみポイント

・細根山(ほそねやま、標高36m)の登頂
・細根オアシスの森の散策
・細根十四景の探索

#基点(駅)

・有松駅 名古屋鉄道名古屋本線
コメント名古屋市緑区鳴海町に位置する、細根山に登りました。

細根山の標高は36m、細い尾根が山名の由来とされています。山頂周辺は名古屋市が推進する「オアシスの森づくり事業」により、「細根オアシスの森」として整備され一般公開されています。

かつて細根山一帯は「一名小山園」と呼ばれ、地元の豪商である下里(しもさと)家の別荘地として利用されていました。江戸時代中期より整備が進められ、特に景観の優れた場所を十四景として選定、尾張徳川公や松尾芭蕉も訪れたといわれる名勝でした。昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風により小山園は大きなダメージを受け、その後、園の一部は宅地(UR鳴海団地など)として開発されました。かつての面影を残している場所としては、三吟塚や湛然堂址、妙音池、菅神廟(細根天満宮)などがあります。

今回は、有松駅・名古屋鉄道名古屋本線を基点に8の字に周回、 細根山山頂、湛然堂址、妙音池、細根天満宮(菅神廟)、などを巡りました。
旧東海道有松宿の町歩きもしました。
細根十四景を探索せよ(^^)v
写真

#有松駅・名古屋鉄道名古屋本線

駅前には大きなイオンがあります。
これは「アレ」しないと、、、

スガキヤの「クリームぜんざい」

ココで神の声が聞こえてきました、、、

早く山に行きなさい→ハイ
(^^;

#有松駅・名古屋鉄道名古屋本線

#有松駅・名古屋鉄道名古屋本線

駅の高架から歩行開始です。
県道237号線に出て北上します。

さすが山。若干、登りになっています。
(^_-)
分岐を左折します。
ムム。

この森が細根山ですね!?

#細根山、細根オアシスの森エントランス

次の交差点を右折すれば、すぐに細根オアシスの森のエントランスに到着します。

#細根山、細根オアシスの森エントランス

ムムム。

どうやらココ(エントランス)が山頂みたいです。

ハイ。オール車道歩きでした。
(+_+)

よっしゃ!登頂できたので帰りま~す。
違う違う(>_<)
オアシスの森事業ということで、市民ボランティアさんらしき方が作業をされていました。ご挨拶すると、、、

「ポケモンですか?」と聞かれました。
「ち、違います」(汗)

この辺りポケモンの聖地らしい?です。ハイ。
プレイしちゃいます?ポケモン?
違う違う(>_<)
細根十四景を探索する旅に出発です。
細根山の歴史と史跡という案内板がありました。

細根十四景のうち、三吟塚や湛然堂址、妙音池、細根天満宮(菅神廟)などが残っています。

#湛然堂址

天満宮と同時期の宝暦2年(1752年)に創建され、明治期に再建されましたが昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風で倒壊。湛然とは「水を湛えるさま」のことで、観音菩薩の慈悲心の満ち溢れたさまとも考えられています。

#湛然堂址

ここでインドから来られた若者ペアさんにお会いしました。情報交換。

#三吟塚

松尾芭蕉の門下生が、この山の高台からの眺望を詠んだ句が刻まれています。

宵闇や 霧のけしきに 鳴海潟 (其角)
旅路かさなる 雁の高声 (知足)
関風の 色吹越る 山見へて (菐言)

と記されています。

三吟塚は十四景には入っていないようです。

#妙音池

#妙音池

十四景のひとつです。

#細根天満宮(菅神廟)

#細根天満宮(菅神廟)

湛然堂址と同時期の宝暦2年(1752年)に創建され、細根山では昭和34年(1959年)9月の伊勢湾台風に唯一耐えた建物です。

#細根天満宮(菅神廟)

ムムムム。

牛さんがお茶目!
(*^^*)
帰りましょう。


お疲れ山でした ^^) _旦~~
「有松めぐり」もしました!
写真有松の旧東海道の有松宿で町ブラ。
有松宿は正式な宿場町ではなく、間の宿(あいのしゅく)であったため宿泊することは許されず、旅人相手の商売として有松絞りが発展しました。
有松絞り。

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