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登山レポート:大給城址(おぎゅうじょう、標高204m) …・愛知県・山歩き

山行名大給城址(おぎゅうじょう、標高204m)~岩谷山、愛知県豊田市/徳川家のルーツにつながる大給松平氏の居城!大給城址のお隣の岩谷山にも登る!ルート不明瞭!
行動開始日2025/8/8
期間(日)1
山行形態山歩き
地域日本
都道府県・国愛知県
住所・山域愛知県豊田市大内町
天候晴れ
行程【8日】
14:41 大給城跡駐車場
14:44 大給城址登城口
14:47 松平乗元の墓
15:00/15:20 大給城主郭跡、物見岩
15:23 館跡
15:36 城下地区の分岐1
15:37 城下地区の分岐2
15:42 岩谷山登山道分岐
15:55 岩谷山
16:02 くぐり岩
16:09 岩谷山登山道分岐
16:22 大給城跡駐車場
所要時間1時間41分
参加者IT/計1名
ルート
※画像を押すと拡大表示できます
ポイント

#お楽しみポイント

・岩谷山(標高195m)の登頂
・大給城址(おぎゅうじょう、標高204m)
・花崗岩の巨岩群

#ヒヤリ・ハット

・ルート不明瞭な部分あり

#基点(駐車場)

・大給城跡駐車場
コメント愛知県豊田市大内町に位置する、岩谷山に登りました。

岩谷山は標高195m。西隣りには徳川家のルーツにつながる大給松平氏の居城「大給城址」があり、その防衛にも関わる位置にあったと考えられています。山中には花崗岩の巨岩が点在し、弘法巡りや修行場を想起させる岩場があり、古くから信仰の対象とされきた山です。

大給城址は標高204mの山上に築かれた山城です。もともとは土豪の長坂新左衛門の城であったが、岩津 (岡崎市)に進出した松平宗家三代の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家四代)に与えられ、さらに親忠から次男乗元が譲り受け、松平乗元が大給松平氏の初代となりました。天正18年(1590年)、六代家乗の時に、徳川家康関東国替えに伴い上野国(群馬県)に移ると大給城は廃城になりました。

今回は、大給城跡駐車場を基点に周遊、松平乗元の墓、大給城址主郭跡、物見岩、館跡、岩谷山山頂などを巡りました。
その筋には有名な城跡ですが、意外にルートが不明瞭でした( ゚Д゚)
うーむ?!
写真

#大給城跡駐車場

誰もいません。まあ、猛暑の平日に、ハイカーがいるわきゃないか❓
今日も日傘の出番ですな。
(;・∀・)

最初の目的地は、大給城主郭跡です。

#二畳ヶ滝方面分岐

分岐があります。二畳ヶ滝には、いつか行ってみたいですね。

#大給城址登城口

ちょうど峠になっているところに大給城址登城口があります。
道には「松平観光自然歩道」という名前がついています。
が、、、、これがなかなか名前の割には曲者です。
分岐を右へ入ります。

#松平乗元の墓

大給松平氏の始祖「松平乗元」公のお墓です。

#松平乗元の墓

分岐に戻り、先に進みます。
土塁

#大給城主郭跡、物見岩

#大給城主郭跡、物見岩

大給城址の碑。

#大給城主郭跡、物見岩

東屋。

#大給城主郭跡、物見岩

東屋前からの眺望。

#大給城主郭跡、物見岩

物見岩からの眺望。

次の目的地は、館跡です。

#館跡

原っぱ。
(o|o)
花崗岩の巨岩が点在しています。
ここが岩谷山方面の分岐のようですが、、、藪が育っていて?ちょっとわからないですぅ(汗)

分岐はパスして民家のある城下地区まで下ります。

#城下地区の分岐1

岩谷山方面は右。

#城下地区の分岐2

岩谷山方面は、また右。
車両通行止め。

#分岐

ここを右折すれると大給城址へ行けそうです。自分は直進します。ちょっと大回りしてしまいまったようです。
(・・?

#岩谷山登山道分岐

左に入ります。
道はあるのですが、、、
案内板もあるのですが、、、
ちょっと、、、チョット、チョット!ルートが分かりにくいんです。
(>_<)
立派な岩!
クライミングの対象になりそう!と、、、思い出しました。日本100岩場、東海・関西編に「大給城址の岩場」が掲載されていることをね。どの辺りなんでしょう?登りに行ったことないんですよね。
弘法巡り!
もうね、道が不明瞭!山頂へ向けて強引に登ります。

#岩谷山

この大岩の上が山頂です。岩に登りま~す!

#岩谷山

お山の大将❣

さて、帰りまーす。
正規ルート??「松平観光自然歩道」を見つました。歩きま~す。
弘法巡り!

#くぐり岩

かなり狭いので通行注意です!
(^^)/

#くぐり岩

往きに通った道に戻りました。

駐車場に戻りまwwwす。


ハイ。お疲れ山でした ^^) _旦~~

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