後藤芳雄/著 「山岳講座奥美濃」について
原題は、「奥美濃」ですが、後述する理由で、図書版(山岳講座奥美濃 後藤芳雄/著 吉田寛治、安藤忠雄/編 日本山書の会 1988.5 246p 21cm 奥書に「日本山書の会」内部研究資料とあります。)のタイトルを採用しました。既に「ヤマニア」の「2025/2/9稲荷山〜権現山」で申し上げた通り、自分の知る限り、大垣山岳協会の機関誌「わっぱ」に転載されたものと、この図書版があり、前者は、大垣市図書館所蔵、後者は、岐阜県図書館が所蔵しています。両者とも図書館間の相互貸借不可、コピーサービス可で、現地へ行って閲覧するかコピーサービスを申し込むかしか手立てがないです(コピーサービスについては、各図書館にお尋ねください)。
成立の由来は、図書版の編者覚書によると「昭和29年10月頃より6年余にわたり「岐阜登高会」会員を読者として著し、会の例会ごとに配布したものである。原本は、第1回から第16回までが手書きによるもの、第17回以降はタイプ印刷である。(略)最終の第47回の末尾に「以下次号」とあることなどから、さらに続篇を予定したものであろうが、何らかの事情で途絶えたもののようである。それを補う意味で『参考資料』の部を設けた。また第5回の「羚羊」の項では、手元資料欠落のためか、ここでは後半部が記されていない。」245p 講座部では、「著者独特の文章の雰囲気を損なわない範囲で、同一語句に改め(略)」た。
月報「わっぱ」版については、1989.6.15 No.94から1993.3.15 No.139まで44回に渡って転載されているが、番号の欠番や重複があり、全部で43回です(因みに私の入手した「わっぱ」版には、大垣市図書館のレファレンス係さんが、大変ご親切にも号数と標題のリストを付けて頂き、大変感謝しております)。
従って、わっぱの方は、紙面の字数に合わせているので、講座の回数通りにはなっておらず、その回数記載もありません。
位置付けについては、わっぱ転載開始の前書きで、「森本次男氏が昭和10年代に足跡を残し『樹林の山旅』にその成果が集約されている。これと前後して活動を開始された後藤氏は、戦後の20年代までに全域を歩いて「奥美濃」にこれを集大成されたのが本書である。そして我が大垣山岳協会が活動を開始したのは昭和30年代に入ってからということになる。(略)誤字などは訂正した。」と記され、「連載を終わるにあたって」には「森本次男氏の「樹林の山旅」が戦前の奥美濃を伝えている他われわれが活動を開始する昭和30年代までの空白を埋めるものにこの「奥美濃」が唯一の手掛かりである」というのがわかりやすい。(注1)
さて、入手したものは、「わっぱ」版ですが、毎月連載という制限や字起こしの苦労、校正など、どうしても編集者だけでは仕方のない限界があり、意味が通らない箇所や誤字など付箋を貼り付けて読み進めたらかなりの付箋数になりました。ちょうど金華山山域の南半分を歩いていたので、帰りに岐阜県図書館により、図書版と校合しました。結論として、こちらを定本とすべきです。また、著者独特の書き癖など、例えば、「道」を「路」など保存されており、機関誌では、毎月、ワープロ変換など急ぎで印刷しようと思えば、訂正するのもやむを得ないかなと思います。山書の会版は、当然のこと基本に忠実です。なお、第5回の「羚羊」後半部は、「わっぱ」版にはあります。
図書版の装丁については、写真にあるように、図書館で継続のパンフやページ数の少ない郷土雑誌などを1年分、業者に委託して堅牢一点張りの製本にするのですが、それに類した製本のため、図書館で製本したのか元からのか悩みました、図書館には聞いてみましたが、わからないということで、編者覚書246ページの「中表紙の題字およびカットは(略)原本のものを使った。」という記述により元々のものと判断しました。(注2)
図書版参考資料の初出は、以下のとおりです。数字は目次の番号です。
1.関西山小屋12号(昭和12年5月号) 2.関西山小屋46号(昭和15年4月号) 3. 関西山小屋69号(昭和17年3月号) 4.関西山小屋71号(昭和17年5月号) 5.山と渓谷(臨時増刊・近畿の山々、昭和35年10月号) 6.岐阜登高会「かもしか」12輯(奥美濃特集、昭和38年4月発行) 7. 岐阜登高会「かもしか」12輯(奥美濃特集、昭和38年4月発行)
注1. 後藤氏の活動を継ぐものが、「わっぱ」になる訳ですが、奥美濃の基本書として「わっぱの総目次と総索引」は、あるのかなと思います。大垣市図書館で簡単に「わっぱ」の索引号があるか検索してみましたが、わかりませんでした。もし無いなら次回の記念事業で「目次と総索引」の刊行を望むものです。
注2. 写真2の右側は、押さえに使ったものが、ちょっと写りました。
別注:奥美濃の基本書については、「ヤマニア」2022/6/5熊ヶ岳の項、参照のこと。
別注その2:「わっぱの連載を終わるにあたって」に寄ると、著者は、昭和57年5月68才で亡くなられました。
注:目次中の番号は、講座の文中で使用されていますが、わっぱ版とは必ずしも一致していません。
スポンサーリンク
▲
▼