山行名 | 佛峠(ほとけとうげ)920m:奥美濃・越美国境 (岐阜県郡上市大和町内ヶ谷) | |
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行動開始日 | 2025/6/17 | |
期間(日) | 1 | |
山行形態 | 山歩き | |
地域 | 日本 | |
都道府県・国 | 岐阜県 | |
住所・山域 | 岐阜県郡上市大和町内ヶ谷(両白山地南部) | |
地図 | 2万5000分の1 :門原 | |
天候 | 晴 | |
行程 | 05:50 ~東海北陸道・一宮木曽川IC~瓢ヶ岳PAトイレ休憩~ぎふ大和IC~52号~黒田亀尾島(くろんだきびしま)林道~ 07:50/08:10 しょうけ谷分岐ゲート前駐車地 08:40 佛谷橋 09:20 分岐林道終点 09:50 佛峠 10:20/11:15 野々小屋谷二股(林道探索:10:45廃道出合後、休憩) 12:40/13:30 県境尾根992mの標高960mで休憩 14:40 佛谷橋 14:50 佛谷橋から400mほど先、草原 15:40 駐車地 (*行動時間は、手術後、体幹、脚力とも極端に衰え、一般の人には、全然、参考になりません。) | |
参加者 | 少々 | |
ルート ※画像を押すと拡大表示できます | ![]() | |
コメント | ・前置き:ヤマニア2025/2/9「稲荷山~権現山」の報告で予告しましたように、奥美濃の基本書である後藤芳雄/著 「山岳講座奥美濃」の簡単な内容紹介を、IT氏に頼んで、アウトドアの小技に載せてもらいました。参照して頂けたら幸いです。 ・前書き:さて、しばらく前、「美濃一人」さんは、どうしているかなとサイトに入ってみたら、ヤマニアの2024/11/4記事を見て自分も行った千疋北山(せんびききたやま)に行ってらっしゃる。その中でs-ngmさんに触れられてます。こちらは、昔から知っており、アドレスをブックマークにも入れていて、「入鹿白山」などは参考させていただきましたが、山行の全体を俯瞰したことはありませんでした。今回初めて「山名録五十音順」を見ましたら、行けそうな山がたくさんある。自分の山行は、ガイドブックにある一座を登ったら(基本、日帰り圏内の2万5000図は購入しているので、その山の地形図をA3でコピーして持っていきます。隣の地図を貼り付けると結構、大きな範囲になります。最近は、地理院のサイトで印刷することも多くなりましたが、目的の山ぐらいしか入りません。)地形図のコピーで、付近の山らしい山を選び、行くかストックし、次はガイドブックの山へという甚だ気まぐれな山行ですが、こちらは、美濃一人さんと同じように山域主体の統一の取れた行動域と見受けました。その中で「佛峠」を見つけました。この峠は、旧の美濃一人さんの中に奥美濃の基本書の紹介があったと記憶しているのですが、その中で座右の書として紹介されていた「飛騨の山美濃の山」 酒井昭一 山と渓谷社 1988 のトチノキ洞(我々も行っています。ヤマニア/千谷[せんたに]URL参照)に記述があり、およその位置は推定できるのですが、大和町側、高速道から見る山稜はそう大したことないように見えるのですが、板取側は、低山の割に非常に奥深い。位置が多少不明でも大した瑕瑾とは思えないのですが、行く気になれなかった。今回平瀬の開拓集落跡と合わせて行ってきました(注1)。出たとこ勝負でしたが、ヤマニアの記録には、ちゃんと手順を踏んで山行してますので参照してください。 ・平日なので、なるべく早く家を出る。それでも内ヶ谷トンネルに向かって上がっている時、3台ほど作業関連の車が追いついてくるので傍に避けてやり過ごす。下りにかかって前回迷い込んだダム工事へ向かう広い道路は完全にゲートで閉鎖されている。ここからの地方道52号は狭く、さらに黒田亀尾島林道に入るともっと心細い。しょうけ谷方面分岐のゲート前、やや広い道路傍に駐車。この付近に以前、作業事務所があったと記憶?しているのですが何もなし。用意していると森林関係者の車2台はしょうけ谷方面、1台はそのまま鍵を開けて進んでいく。常時、関係者が入るので、雨水による大きな段差などは板を敷いて通れ得るようにしてあり、修理が必要であれば随時行っていると思われるが、落石の石ころは常にあり、場所も多い。今日は、帰りも対向車の恐怖の確率を可能な限り下げる必要から3時過ぎ以降、駐車地から出るつもりで出発する。 ・後で振り返れば、駐車地まで入れば、半分の行程が終わった気がする。佛谷橋を渡り、右岸沿いの林道を途中、大きく右へ旋回していく分岐は道なりに進み、標高840mで終点となる。峠まで沢を3回渡る。峠は写真参照。標高920mと表示の杭が倒れているので、しばらく前に整備されたことはありそうだ。石組みの石が散乱しているので昔は祠でもありそうな気がする。 ・予定では、左折して992mへ行こうかと思っていたが、越前側、はっきりした道があり、まだ早いので下る。沢に合流した後、踏み跡らしきところあるが、峠道はおおかた消失している。沢中を歩くことが多い。二股に出るとやや広がって道を発見できない。貧弱な植林が多少ある。野々小屋谷の林道は、左右、もっと上の尾根にあるらしい。左側は数十メートル直登しなければならず、林道がありそうな形跡も見えない。右がそれほど登らなくても良さそうなので、上がってみると、2mほどの擁壁が見え、完全な廃道でがっかりする。旧道は、こちらの林道は分岐してからの道の付け方が不自然なので、やはり沢沿いにあるのだろうと推測します。スギが二股付近に少しあったくらいで付近は自然林、臼本山(ヤマニア2013/3/17)でも思いましたが、福井県側は大方、自然林、岐阜県側は植林と言った感じです。 ・折り返し、しばらく沢を歩いてGPSを見る。画面が消えている。最近電池交換したばかりにと思うので、沢のため電波が届かないのかなと思う。沢通りに行けば良いと思うので、歩くが、いつまで経っても沢に並行する(と、いつの間にかそう思っている)踏み跡が見つからない。左斜め上方の小樹間に青空が見える。沢源頭方向は、先行き全然見えない。しばらく前から流水で露出した礫石は無くなり、足を置くステップは源頭の急斜面になっている。大した距離なくとも木の枝や幹を掴んで引き上げるのは疲れる。いい加減、GPSの電池交換してみようと休憩する。すでに相当、登り越している。5mほど上がれば、現在地の斜面より多少緩くなっているので、そこまで行き、灌木を掴んでトラバースする。標高960mまで来てました。すぐ上にコウヤマキか何かの大木が見えましたが、もう目一杯疲労したので、下山することにして休憩を取りました。そういえば、沢を歩き始めてすぐGPSの警告音が鳴ったなと思い付きました。 ・佛谷橋のところでは、右折、上流の平瀬に向かいました。すぐに川が開け、草付きの河原が広がりました。唯、人が利用できるようなところでなし、林道の両側を見ながら、もう根が尽きたので引き返すかと保安林の標識がある先まで行くと、かなり広い原っぱがありました。住居を建てるには十分広く、農業には不足だろうと思いながら、南の端をみると写真の小廃屋が1軒ありました。この結果で満足して車に戻りました。 ・まとめ:文中から推察できるように、普通車でも可。但し、今回、前日に雨でも降ったか泥濘で、後日水洗い洗車に赴いた。帰りは、頭骨大の石ころが、転がっていたので、脇に避ける。一回り小さい石も同じく。常時、林業関係者が入るように、適宜、平日は伐採・搬送トラックが入ると思われます。峠から県境992m方面踏み跡あります。北側は、見た目、道無さそうですが、ヤブなく、しばらくは楽そうです。峠まで、比較的優しいと思います。野々小屋谷方面は、余り面白くなく、行くのなら、沢に合流した時、赤布を付けておくべきだろうと思います。 ・注1:上記「飛騨の山美濃の山」151~156p によると戦時中の増反政策のため開拓され、10軒余りの家があり、三町歩余の焼畑と一軒平均五反の新田開発に従事したところとあります。平地はほとんどないので開墾すれば所有できる目安と思いますが。ともかく開拓地というからには、広いところは、地形図の平瀬ぐらいしかないので、ここがそうと思い込んでいた。 ・余談:学理と道理の違いは何だろうかと思うと、以下の例では、どうだろうか? 日本にはマルクスは生まれてもマルクスにはなれない、というのは私の持論ですが、経済学の基本では,総貨幣量と総生産物は対応する、総生産物が変わらずに貨幣量が増えれば、貨幣の価値が下がり、生産物の価格は上がる。もちろん貨幣の退蔵や投資など常に社会には一定量の浮遊貨幣があるが。それでは、現在の日本の国債はどうだろうか? 日本銀行が半ば買い入れているという。日本銀行に政府が償還する義務はあるだろうか。結果は、購入のため紙幣を増刷しただけではないのか。総貨幣量が増加しただけではないのか。但し、昨年の新米騒動は、恐慌ではないので、混乱と言っておこう。市場は、必ずしも条件と同時並行で推移するわけではない。あれほど何%かのインフレを希望したのに実現しなかった。恐慌で言えば、世界恐慌でもリーマンショックでも人間行動が関わる現象には、きっかけがある。それが、これまでの国債政策に由来する条件にきっかけが加わったと見るのは、歴史認識としては早すぎるのか、専門家に尋ねたい。いずれにしても、増えた貨幣はどう行動しているのか。政治に流れ込んでいるのか。金持ちがタックスヘイブンで退蔵しているのか。ともかく不要普及の浮遊貨幣を吸収しなければならないのではないか。何度でも言いますが、役人に金儲けができるはずがない。商人になれるなら役人にはなってない、昔から役人の手口は袖の下や天下りと決まっていますし、一連の基金に期待できることは、ほとんど無いのではないでしょうか。従って相殺はできず、金持ち、経営者層、いわゆる管理者・役員層、政治家に課税する以外、方法が無いのではないでしょうか。あるいは、マルクスの示唆通り、一次産業に投資して健全な再生産構造を構築すべきでは無いでしょうか。 | |
URL | s-ngm美濃の低山:佛峠 | http://ngm.b.la9.jp/2013/hotoketouge.htm |
ヤマニア :千谷 (トチノキ洞)2016/10/7 | https://yamania.net/ourreports/2016ourreports/201610sentani/201610sentani.html | |
開拓地については、村影弥太郎の集落紀行:内ヶ谷(うちがたに)開拓参照のこと | http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/21.Gifu/Yamato_Uchigatani.html | |
以前あった分教場については、ウィキペディア | https://ja.wikipedia.org/wiki/大和村立西小学校内ヶ谷第二分校 | |
参考:美濃一人 | https://mino1ri.sakura.ne.jp | |
入浴 | なし。日本まん真ん中温泉子宝の湯に行こうとしたら昨年9月で閉館でした。今秋再開予定だそうです。 | |
写真 | ![]() | しょうけ谷分岐手前駐車地からゲートを見る |
![]() | 佛谷橋。林道右へ | |
![]() | 林道分岐の手前60m、林道の様子 | |
![]() | 標高820m分岐林道の様子 | |
![]() | 標高840m林道終点 | |
![]() | 峠道入口。沢を渡って本流側、左へ | |
![]() | 標高870m、2つ目の沢を渡った後の道。 | |
![]() | 佛峠、左側のお地蔵様 | |
![]() | 同右側、石碑と面に「佛峠大野八幡街道」と彫られている石 | |
![]() | 野々小屋谷(ののごやだに)二股の台地。標高820m | |
![]() | 向かって右側の廃林道 | |
![]() | 二股付近の樹相 | |
![]() | 平瀬南端 | |
![]() | 同。南端の廃屋 |
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